健闘を称える(4)  (ゆ)  No.272

こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。

9月5日に閉会式が行われた東京パラリンピック大会には、162か国・地域と難民選手団から史上最多の約4400人が参加し、22競技539種目が行われたそうですが、開催中、何度となく目にしたのが、『失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ』という、ルートヴィヒ・グッドマン医師の言葉でした。第二次世界大戦の最中、戦場で脊髄損傷を負った若者達のリハビリ治療のためにスポーツを活用し始め、障害者スポーツの父と呼ばれた彼が、自らの病院の名前をつけた「ストーク・マンデビル競技大会」がパラリンピックとなったそうです。

今までは、パラリンピックはどうしてもオリンピックよりも印象が薄くなってしまいがちだったと思うのですが、今回の自国開催にあたり、様々なメディアによる丁寧な紹介のお蔭もあって注目度が凄く上がったようです。日本は過去最多の254人の選手が全競技に出場し、金13、銀15、銅23の計51個のメダルを獲得し、2004年のアテネ大会の52個に次ぐ史上2番目の数となったそうです。1964年の東京パラリンピックでは計10個のメダルだったそうですから隔世の感がありますが、メダルの有無や個数等に関係なく、参加された選手達の笑顔が何よりも輝いて見えました。

そんな選手達の言葉も笑顔同様に輝いていましたが、中でも印象的だったものを以下にご紹介させていただきます。

『自分で取ったというより支えてくれた皆さんからメダルをいただいたという気持ちでいっぱい。自分が障害を負った意味はこの瞬間にあったのかな』
富田宇宙選手(32)競泳男子400メートル自由形と100メートルバタフライで二つの銀、200メートル個人メドレー(視覚障害)で銅。

『右腕を失ってから色々ありましたけど、結果オーライ。今、すごく幸せです』
宇田秀生選手(34)トライアスロン男子(運動機能障害)で銀。

『世界中の選手達と一緒に、片足でもこんなに速く走れるし、泳げるし、たくましくなれることを皆さんに見てもらえたら嬉しい』
秦由加子選手(40)トライアスロン女子(運動機能障害)で6位。

『(無観客開催で)目には見えないが、多くの応援があってこの場に立っていると実感した。幸せな気持ちで走らせてもらった』
土田和歌子選手(46)トライアスロン女子(運動機能障害)で9位。

『1回死にかけたので、欲しいものはない。私が頑張ることで、誰かの励みにつながったり、希望が見えない方がいたら、こういう人生になる可能性がある、希望がまた見えるかもしれないと思ってもらいたい』
杉浦佳子選手(50)自転車女子ロードタイムトライアルとレース(運動機能障害)で二つの金。

『車いすになり、見られるのが嫌で引きこもりがちになった部分もあった。今は全然嫌じゃない。むしろ見てくれという感じ。優勝は車いすで良かったと思えることの一つになりました』
里見紗李奈選手(23)バドミントン女子シングルスとダブルス(車いす)で二つの金。

『「俺は最強だ」という言葉に僕自身、支えられました。この日のためにすべてを費やしてきたので、それが報われてよかった。支えてくれた妻やコーチ、トレーナーに本当に感謝の気持ちでいっぱい』
国枝慎吾選手(37)車いすテニス男子シングルスで金。

オリンピックでは10代、20代の選手達の活躍が多かったですが、パラリンピックは30代から60代というベテラン勢が活躍されていたことにも勇気づけられました。上述の選手達以外の方々からも、『嬉しい』、『幸せ』という言葉があふれ出ていましたが、選手一人ひとりにドラマがあり、国の代表に選ばれただけでもすごいことだと思いますし、選ばれるまでの健闘に対しても称えられるべき方ばかりではなかったかと思います。大会テーマの一つ『多様性と調和』を表現するかのように、パラリンピックの閉会式は様々なカラフルな色彩があふれていて、ダンサー達の衣装も皆違っていたことも多様性の一つの表現だったようですが、選手達を始め、選手達を支えられた方々の色とりどりの喜びも伝わってくるかのようでした。

VE活動をしていく上でも様々な制約条件等があったり、うまく進まなかったりする場合もありますが、障害を乗り越えて頑張っている選手達から『どうしたらできるようになるか』を工夫で乗り越えていく努力が必要だと教えてもらっているような気がした大会でもありました。

では、よい週末をお過ごしくださいませ。 (ゆ)

 

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