【特別寄稿】英国EU離脱へのVE的考察

虫明孝義(当会監事)

欧州統合の父といわれるクーデンホーフ・カレルギは、クーデンホーフ・ミツコ(青山光子)の実子である。

数千万人に及ぶ無念の死を礎に二度と戦争があってはならないとの信念を抱き、その夢はシューマン、モネ、アデナウアー、チャーチル、・・・以下多数の人々の努力によって実現されていく。
EUの本質はここにある。有史以来戦火が絶えなかったヨーロッパに平和、安定、繁栄をもたらすことである。今、第二次大戦終結後、半世紀以上ヨーロッパで戦いが消滅したのだ。

◆ EUの価値(V)を問う
EUの目指す本源的価値は平和にある。EU加盟国が享受している平和は数値化できない計り知れない価値を持つ。
庄司克宏著「新EU法基礎編」(岩波書店)によれば、EUの価値として自由、平等、民主主義、人権、基本的自由の尊重などが並び、平等という価値は加盟国の平等、EU市民の平等、男女間の平等、国籍に基づく差別の禁止などが述べられている。
EU法では民族、国籍、宗教などで差別は許されない。ラテン系民族もアングロサクソンもスラブ民族もイスラム教徒もユダヤ教徒も全ての人間の尊厳の尊重という価値に基づいている。
これがEUの本源的価値である平和である。

◆ EUの機能(F)を問う
EUが目指す目標としてEU条約第三条の目的を簡略に掲げる。
1. 平和自らの価値及び諸民の厚生の促進
2. 人の自由移動、移民、犯罪防止に関する適切な措置、国境のない自由、安全及び司法領域の提供
3. 域内市場(単一市場)の設立、ヨーロッパの持続可能な成長、完全雇用を目標、
4. ユーロを通貨とする経済通貨同盟
5. 諸国民の連帯及び相互尊重、自由かつ公平な貿易、貧困の根絶、人権保護
簡略化しているが、ここに記載されていない目的、機能は多数ある。
例えば、バルト三国のように、小国であるが故に一国での安全保障は無力に尽きるかもしれない。EUは平和を本質としている。EUという平和の傘下に入りたいという願望は当然強いと考えられる。

◆ 次に、EUによる犠牲(C)を問う
移民、難民の受け入れに伴う失業の増加であり、加盟国の主権の喪失であり、EU法の順守や負担金の拠出である。
またEUの官僚化への反発やドイツなどの大国に対する小国の反発も大きい。さらに緊縮財政政策など政策への反発もある。
思うに今、加盟国ではEU懐疑派などによって、EUによる犠牲(C)が重点的に主張され、EUの本質的機能(F)である平和を実現していく機能の討議がなおざりになっている。
グローバリズムによる経済の発展のもと世界平和の実現を目指すことより、自国のよき時代を夢見るナショナリズムの謳歌であったり、時には単なる政治家の野心に過ぎないと錯覚するようなEUの本来の機能から遠ざかっていると思える主張もある。
加盟国が犠牲を強調してEUから離脱していけば排他主義は力を増し、再び戦争への不安定要因を強めるのではないかと懸念も生じる。
EUの崩壊を想定すれば不安定要因は世界中に拡散し、アメリカ、中国、ロシアなどの大国も益々国益を優先し、世界は内向きに縮小し世界的不況に陥ることも考えられる。
過去には戦争の起点は不況の打開策として考えられたこともあった。
このような暗い発想を消去するためにはEUの平和をイメージできる機能の拡大の討議が必要であると考える。
今必要なことはEUによる犠牲(C)だけでなくEUの機能(F)を再考することである。このように結論はEUの機能の強調であるが、VE的考察の面から今一点強調したいことがある。
EU離脱派の論どおりEU離脱が実現したとした場合、移民、難民の流入が阻止され、EU負担金がなくなり、国家の主権が回復し、EUの規制から解放されるなどの多くの犠牲(C)がなくなるかもしれない。
だがここからが重要である。今までの犠牲(C)が消滅する代わりに新しく発生する犠牲(C)がどんなに大きくなるか計り知れないことである。これが世界中でささやかれている不確実性という不安定要因である。
100年前の1916年、イスラム教徒とユダヤ教徒に中東の領土を約束したサイクス・ピコ協定の密約が英国の三枚舌外交として、現在に至る中東の混乱をひきおこしたと多くの著書で記述されている。
そして米国のイラク、アフガニスタン、また今のシリア、IS(イスラム国)への対応、これらが100年を経て今の自由な移動と移民、難民問題としてEUの本質的な機能にかかわってきている。
英国のEU離脱ということは貿易、金融などを通じてEUとの間に激変が生じる可能性を否定できない。英国にとってもアングロサクソンの誇りを、あるいはコモンウェルズの誇りを打ち出すかもしれない。AIIBを通じて関係が密な中国と、またウクライナ情勢をかかえるロシアとも離脱の影響がどのように現われてくるか明らかではない。
はっきり言えることは現実にこれらの世界情勢がどう変化していくかがわからないということだ。
不確実であることは不安定要因であり、不安定であれば経済的には投資が減り、経済は縮小し、賃金の上昇は滞り、消費は落ちこみ、この悪循環から脱皮できる日がいつ来るのか全く不明であるということだ。
これまで生じていた犠牲(C)が消滅したとしても新たな犠牲(C)が生じ、しかもその犠牲(C)の大きさが世界情勢に依存する程の大きさである。
EUと英国の離脱交渉の行方、EU加盟国の今後の離脱の可能性、英国内の残留派と離脱派の分断、米中露など大国の動向など世界に不安定要因が充満する兆しがみられる。
そして格差に根ざすエステブリッシュメント(体制)に及ぶ世界的問題提起であることだ。
V=F/Cを私なりにEU離脱にあてはめて考察すると、安定というFが弱まり、不安定というCが強まることによって、EUの価値(V)が小さくなることを懸念する。