芸術を鑑賞する (3)   (ゆ)  No.132

こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。

今週の10月8日は体育の日、運動会が開催された所も多かったと思いますが、前日の東京は30度を越え、身体を動かさなくても汗が出てくる暑さでした。秋の運動会とはいえ熱中症に気をつけないといけなくなってきたようです。

さて、前回のブログで、マックス・クリンガーの『手袋』という連作の中で、手袋が飾られた海辺の祭壇に打ち寄せる波とバラの花の絵(10枚の内の6枚目であるこの絵は『敬意』というタイトルでしたが、心象風景だと思います)を前にした時、「私に見えたものとは?」の答です。 モノトーンの版画ですから、実際の絵では黒い海と白いバラなのに、青いコバルトブルーの海にピンクの無数のバラが打ち寄せている景色、つまり、「色」が見えたんです。勝手に脳内変換されていた訳ですが、受け取る側の想像力や感受性のせいであったとしても、時を経た今でも色を思い起こせますので、その絵にはそれを引き出すだけの力が宿っていのだと思います。

私の好きな画家には、他に、コロー、ダリ、東山魁夷、牛島憲之がいますが、特に、コローは、『モルトフォンテーヌの追憶』という絵が好きでした。ただ、昔は好きだったこのコローの展覧会に、年を経て行ってみたのですが、以前ほどの魅力は感じなくなっていたのが意外でした。絵というのは、鑑賞する側の年齢とかその時の心の状態等によっても印象が変ってしまうものかもしれません。

そういえば、写真でも同様なのか、3年前の今頃に撮った時には純粋に「自然の芸術って綺麗だなあ」と感激したのが下の紅葉なのですが、今、見てみたら、無数のピンクのバラならぬ無数のもみじ饅頭に見えてしまう事に気づきました(私だけ?)。感性の退化というより食い意地の問題かもしれませんが、まあ「食欲の秋」でもありますので。

Autumn leaves 2015.10 photo by y★u

最近、すごく惹きつけられて実物を見てみたいと思ったのは、「日曜美術館」というテレビ番組で知った久保克彦さんの『図案対象』という絵です。25歳で戦死されてしまった方なのですが、戦中の絵とは思えないような明るい色彩に溢れていました。解説によって、時代背景や人柄、絵に込められた想いや、幾何学的な計算を駆使して緻密に描かれているといった事等も知る事ができました。

こんなに才能溢れる方なのに、卒業制作としてすべての想いを込めて描いた絵が遺作になってしまって、どんなに無念であったろうかと思うと同時に、今も存命でいらしたら、どんなに素晴らしい絵を描かれていたのだろうと思うと残念でなりません。 ちょうど10月2日から11月11日まで、上野の芸大美術館の「藝大コレクション展」(https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/2532)で、彼の作品も紹介されているというので行ってみました。

上野の森美術館の「フェルメール展」は行列ができていましたが、こちらの方は混雑もなく、ギリギリまで作品に近づけるので細かい所までゆっくりと鑑賞できてとても良かったです。柴田是真の『千種之間天井綴織 下図』も素晴らしく、これで500円もしない観覧料ですので、VE的にも価値が高いと思います。他に、3Dプリンタなどの現代の技術を駆使した芸大生の卒業制作の作品等も鑑賞できましたが、時代の変遷も感じられて興味深かったです。

久保克彦さんの学校の10年程先輩で、90歳まで数々の作品を残したのが東山魁夷です。彼の生誕110年を記念して、「東山魁夷展」(http://kaii2018.exhn.jp/)も10月24日から12月3日まで新国立美術館で開催されるようなので、こちらもお勧めです。 先んじて京都国立近代美術館で開催された「東山魁夷展」に行ってきた主人は、本物を前にして鳥肌が立ったそうで、『絶対に観たほうがいい』と申しておりました。本物はやはり迫力が違いますし、実際に目の前にすれば、上述のクリンガーのエッチングの作品で、白黒なのに色が見えた私みたいに不思議な経験が味わえるかもしれませんね。

実は、絵を見ていて不思議な経験をした事はもう一つあります。それは東京都庭園美術館で見たカンディンスキーの作品で、色彩のある油彩画でしたが、見ているうちに「あれっ?」と思う事が起こりました。どういう事だったかは次回にさせていただきます。

では、よい週末をお過ごしくださいませ。 (ゆ)

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