涙を流す (5)   (ゆ)  No.29 

こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。

もう9月ですね。春の訪れは花の香で感じますが、秋の訪れは風や虫の音が知らせてくれる気がします。

2016年の夏を賑わせたリオオリンピックでは、日本は41個という史上最高のメダル獲得数となりましたが、中でも私が「美しい上に凄いなあ」と感激したのは、シンクロナイズドスイミングの団体戦です。
一人でも難しい水中での動きを全員で息を揃えて苦しいそぶりも見せずに笑顔でこなせるというのは、想像を絶する練習量なのだと思います。加えて、日本選手達の水着は日本の技術力が盛り込まれ軽量化されていたそうですが、その鮮やかな色も印象的で、動きがより躍動的に見える気がしました。4位のウクライナとは僅差でしたから、水着の機能や色も貢献しているのかも?と思いました。

当会の近くに東京オリンピックが開催された駒沢オリンピック競技場がありますが、私はそこで行われた世田谷区の小学校の総合運動会で、学校代表の走り幅跳びの選手として出場したことがあります。私からは見えなかったのですが、走り幅跳びの砂場のすぐ真上に自分の小学校の席があり、そのプレッシャーたるや(当時)10歳あまりの女の子が受け止めるには大きすぎて、あえなく惨敗しました。区の大会でそうなのですから、世界中が見守る中のプレッシャーなど想像もできませんが、それを逆にアドレナリンに変換して、体操でも卓球でも10代の選手達が堂々と競技するのを見て感嘆していました。

私の走り幅跳びの記録は学校内では一番だったのですが、区や国というくくりで見ればもちろんもっともっと上がいますし、オリンピックでも世界一を取ったとしても、もし、宇宙大会があったとしたら、同様に更に上がいるかもしれません。「メダルが取れなければ意味がない、価値もない」と、選手が涙を流すのを見て、「メダルを取る」ことには確かに大きな価値があるけれども、取っても取れなくても、そこに行きつく過程にも目には見えないけれどいろいろな価値があるはずでは?というふうにも思いました。
更に負け知らずだった人ほど、負けた人の気持ちを理解できるようにもなるのではないでしょうか?

そして、4年間、練習に心血を注いだ結果、メダルを取れた、取れても金ではなかった、メダルが取れなかったと、泣いていた各選手達を見て「もらい泣き」してしまう人達には年輩の方が多い気がします。
年を取ると涙もろくなると言われますが、やはり年を重ねたなりの人生経験を積んで、嬉しいにつけ悲しいにつけ感情移入ができるからではないかと思います。これは言葉を変えれば、相手の立場に立てるからこそ「もらい泣き」ができるということで、VEの5原則の一つ「顧客本位」にも通じるものがあるのではないかと思います。もらい泣きで涙を流せる方はVEに向いていらっしゃるかもしれませんね。

いずれにしても、この夏、私達をワクワク・ドキドキさせてくれたリオオリンピックですが、来週9月7日から18日まで開催されるパラリンピックもまた多くの感動を与えてくれると思います。
4年後の東京オリンピック・パラリンピックでも、いろいろな「涙を流す」場面に遭遇すると思いますが、「平和の祭典」の言葉どおり、平和の中で開催されることを願ってやみません。

実は、私は駒沢オリンピック競技場だけでなく、第1回目のオリンピックが開催されたギリシャの競技場のトラックを走ったこともあるのですが、これはまた次回にお話ししたいと思います。

では、よい週末をお過ごしくださいませ。  (ゆ)

 

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