夢を抱く (3)   (ゆ)  No.96

こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。

今年に入ってからこのブログでは、昨年の新しい出会いとか再会とかの話を書いてまいりましたが、出会いや再会と切り離せないものに「別れ」があります。そう、「出会いは別れの始め」という言葉もありますよね。

実は今週、小学校時代の友人との残念な別れがありました。つい2か月前の同窓会で会ったばかりでしたので突然の訃報でした。自分の祖父母や親は年齢からいっても覚悟ができてはいますが、同い年の友人というのはまた寂しさや悲しさが違う気がします。

亡くなった友人は私の小学校の1、2年生の時の同級生で、中学校も同じでした。6年前に彼が大病にかかった際に、彼を「励ます会」を有志で開催したのですが、それを皮切りに同学年3クラスの合同同窓会が毎年のように開かれていました。彼は、つらい治療と入退院を繰り返しながらも、「同窓会で皆に会う」という夢を励みにほぼ毎回参加していて、2か月前の同窓会にも、痩せてしまって体調のよくない中、頑張って二次会まで参加してくれたのですが、その時に話したのが最後になってしまいました。

彼を励ますといいながら、明るく前向きで愛されキャラの彼から励まされて元気をもらっていたのはむしろ私達の方でした。治療の合間にはご家族との旅行も楽しんでいたようで、可愛らしいお土産も何度か頂きましたが、怒った所を見た事がないほど心優しい人だっただけにとても残念です。

5年ほど前に一度、彼の免疫力アップのためになるかもと思って、私の通っているヨガ教室に連れていって体験してもらったのですが、その時に彼が、『主治医から「あと1回転移したらそこで最後」と言われたんだけど、全然怖くないんだ』と淡々と話していたのが印象的でした。自分に言い聞かせるというふうでもなく、本当に怖くないと思っているとしか思えないくらい落ち着いていて、「精神的にタフなんだなあ。私にはとても真似できない。すごいなあ」と感心したのを覚えています。

結局、狭い部屋でのヨガは彼にとってはウイルスなどが感染しやすい環境だという事で、通う事はかなわなかったのですが、それから1年後に同級生の有志で箱根旅行に行き、彼も一緒に卓球やカラオケを楽しみました。彼は病気とはとても思えない大食漢で、翌日のお昼を頂いたお寿司屋さんで、美味しかったのか同級生の女性の分まで彼が勢いでパクパクと食べてしまって彼女が大激怒してしまい、皆で大笑いしましたが、あの頃はそういう食欲があったからこそ元気だったんだなあと思います。

人の「価値」は亡くなったときに分ると言われたりもしますが、同級生達の皆が皆、とても悲しがっている事からも、本当にいい人だったんだなあと改めて実感しています。自分の性格とか行い次第ではありますが、できうればこの世を去る時は彼のように惜しまれて去りたいものだなあというのも、私の抱いている夢の一つです。

彼の旅立ちは平均寿命からいえば早すぎるかもしれませんが、人生の価値はその長さだけにある訳ではないように思います。長生きはできなかったけれども皆に惜しまれながら旅立った彼は幸せといえるかもしれませんし、今頃、つらい治療からやっと解放されて伸び伸びとしているかもしれません。それに、肉体はなくなっても、皆が思い出す度にその中で彼は生きているともいえるのではないでしょうか?

このブログを読んでくださっている方々の中にも、昨年に大切な人との悲しいお別れをした方がたくさんいらっしゃると思います。年賀欠礼でお正月にお年賀状が届かないと、改めて思い出してよけい寂しく感じられるものですよね。
ただ、以前のブログにも書いたように思いますが、亡くなった方への何よりのご供養は「残された人達が元気で暮らす事」だそうです。遅かれ早かれ私達も旅立つ訳ですから、それまでは一つでも多くの夢を抱きながら、彼の分まで元気に過ごしていけたらいいなと思っています。

では、よい週末をお過ごしくださいませ。 (ゆ)

 

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