芸術を鑑賞する (4)   (ゆ)  No.133

こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。

前回のブログで、「紅葉の写真がもみじ饅頭に見えてしまう」というお話をしましたが、昨日、広島在住の当会の会員の方からお土産に「もみじ饅頭」を頂きました。その方がこのブログを読んでくださっているかどうかは定かではありませんが、引き寄せでしょうか?試しに欲しいものをここに書いてみて、それが叶ったりしたら楽しそうです。

さて、本題に戻りますが、前回のブログでカンディンスキーの作品を観ているうちに、私が「あれっ?」と不思議に思ったことは何かという続きのお話ですが、絵を観ていたはずなのに、音楽が聞こえてきたんです。後で知ったのですが、実は、これは音が聞こえるように計算されて描かれていた絵だそうで、カンディンスキーは『色には音があり、色の組み合せは和音や不協和音を生む』とも言っていたそうです。

「音感がない」と言われている私でさえ感じ取れたので、大体の方は感じ取れるのではないかと思いますが、ちょっと不思議な経験でした。芸術を鑑賞していると、その作品を通して、その作品の背景や作者とつながれるような気もしますし、どういう背景でどういう心理状態で創られたものかを想像するだけでも楽しいです。

先日、小原古邨という日本の版画家もテレビで紹介されていたのですが、中でも『蓮に雀』という作品では、『蓮の葉の上から池に滴る雫の音が今にも聞こえてきそう』と評されていました。カンディンスキー同様、次元の違う世界をも感じさせてしまうのは凄いと思いました。茅ヶ崎市美術館で、「小原古邨展 ―花と鳥のエデン―」という展覧会(https://bijutsutecho.com/exhibitions/2570)が11月4日まで開催されているそうですので、ご興味のある方にはお勧めです。

絵や書は二次元の世界ですが、彫刻や工芸品は三次元で立体感があるので、よりリアルですし、器などは鑑賞だけでなく実際に道具として機能を果していたものもあります。去年、国立博物館で開催されていた茶道具展に行って、有名作家による名品というものをいくつも鑑賞してきましたが、絵とか茶道具の価値ってどこで決まるのかしら?とも思いました。

特に、茶道具の「機能」を考えてみると、数千円の物でも数百万円の物でも機能的には同じです。時の権力者等が、報奨としての大きな付加価値を茶道具に持たせたのが高価な茶道具の始まりだったのかもしれませんが、国宝のようなものは別として、売る時にはすごく安くなってしまうと聞いて、その「価値」について考えてしまいました。 高価なものをありがたがる傾向は誰にもありますが、値段は関係なく自分がとても気に入ったものとか、かけがえのない思い出のつまったものなら、それが「自分にとって価値のあるもの」だと思うのですが、いかがでしょうか?

昔、テレビで見かけたのですが、有名タレントがブラブラと街歩きをしていて、たまたま出逢った一般の方がちょうど結婚したばかりということを聞いて、側の100円ショップで買ったカップに、ささっとサインと絵を描いてプレゼントしたんです。もちろん、もらった人は思いがけないお祝いのプレゼントに大喜びでしたが、その方に取っては、世界に一つだけのお金では買えない価値のあるカップになったのではないかと思います。

本物と言われる作品を観賞して、目を肥やす事も大事だとは思いますが、一方で、自分にとってそういう特別な価値を持つものを持っていた方が心豊かではないかなあとも思います。

新しくても古くても、その機能は同じなのに、何世紀も時を経た昔のものというだけで味わい深く骨董的価値を持つものもありますよね。日本の中でも特にそんなモノが溢れている京都には、そのモノはもちろん、そういう芸術を創造した伝統のある文化に惹きつけられて世界中の人が訪れてくるのではないかと思います。

さて、当会では、そんな京都で11月19日に「VE京滋セミナー」を開催いたします。是非、この機会に秋の京都で芸術を鑑賞したり、VEの世界を堪能されてみたりしてはいかがでしょうか? お申し込みの締切りは11月8日になります。(https://www.sjve.org/15327

では、よい週末をお過ごしくださいませ。 (ゆ)

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