文を書く(3)  (ゆ)  No.242

こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。

前回のブログで、作文コンクールで文部大臣賞を受賞した小学校1年生の発達障害の女の子の作文のことをご紹介しましたが、「ふつうになりたい」と一所懸命に頑張っているこの女の子の周りには温かく見守ってくれるご家族や先生が存在することも伝わってくる作文でした。

まだ字を覚えたての小学生ですから、文章の構成等は先生のご指導による所も大きかったのではないかと思います。学校という場所では、こういった先生方との出会いが生徒のその後の人生を決めてしまうこともありえますし、改めて責任重大な仕事だと思いました。

私が小学校高学年だった時の担任の先生は国語の先生で、特に詩や作文について熱心に指導されておられました。私が今、こうしてブログを書かせていただけているのも、この先生のお蔭だと思いますので改めて感謝しています。先日、昔の書類の整理をしていたら、小学校の頃に原稿用紙に書いた作文の数々が出てきて読み返してみたのですが、よくこれだけ書いたものと思いましたし、子供特有のストレートな表現等は自分でも可笑しくて笑ってしまいました。

例えば、「生い立ちの記」という作文では、『私が赤ちゃんの頃、男の子のようなきつい顔立ちをしていたので、よその人に「この子、男の子?」とよく聞かれたそうですが、母は無責任にも「ええ、そうですよ」と答えていたそうです』などといったことも書いてありました。

今は亡き母は、単に説明するのが面倒くさかったのか、気まずくならないように相手の立場を考えてのことだったのか、今となっては聞く術もありませんが…。ちなみに弟は私と逆で優しい顔立ちの赤ちゃんだったので、よく女の子に間違われていたそうで、大きくなってからも『逆だったら良かったのにね』とよく言われておりました。

同級生達による作文集もあったのですが、優れた作品や授業の題材に使ったものは先生自ら清書されて講評も書かれていました。当時は(ご存じない方もおられるかもしれませんが)ガリ版刷りなので自筆でわら半紙に印刷されており、達筆の手書きの文字には活字にはない温もりがあふれていました。私の作文もコンクールの応募作になったこともあったようですが、おそらく先生が応募されたと思われる同級生の詩が新聞で発表されていたことを今でも覚えています。短い詩ながら、感受性豊かなとても印象深い作品でした。

パソコン等のない昔は、お知らせの文書等も手書きでしたし、授業やテストや採点、生徒達の作文等に目を通しながら講評も書かれた上に、優秀な作品の応募の手続き、運動会、学芸会、遠足や旅行、その他の山ほどの雑用に加えて、時には生徒を褒めたり叱ったりと、先生方は多忙を極められていらしたと思います。

そういう中で40人程の生徒達の成績をつけるだけでも大仕事だと思いますから、たとえ一文でも講評を書くという作業は大変かもしれませんが、生徒からしてみればとても励みになる価値のある一文なのではないかと思います。

今は先生方の負担を減らすために通知表の講評はなしというケースもあるようですが、一方で、先生の講評が書かれた生徒全員分の通知表に目を通して、先生方一人ひとりへのメッセージを書いているというある学校の校長先生の投稿が新聞に載っていました。こういう校長先生を始め、相手の立場に立って考えてくださる先生方に教わることのできる生徒達は幸せではないかしらと思いました。

そういう幸せな子供の一人だった私が高校生の時に、答案用紙に書かれていた先生の手書きの一言で、今でも忘れられない言葉があるのですが、長くなりますので次回にさせていただきます。

日本全国ではないのですが2月7日まで緊急事態宣言が出されましたね。2月8日に解除されるかどうかはまだ分かりませんが、当会では、2月18日に「VEと原価企画~コロナ禍でも歩みを止めないVE活動~」をテーマとした第52回VE関西大会をオンラインで開催いたします。オンラインですから全国どこでも居ながらにしてご参加いただけますし、当日、機材トラブル等でご視聴いただけなかった方がいらした場合に限り、期間限定で再配信もいたします。
お申込みの締切りは2月15日となりますので、この機会に参加されてみてはいかがでしょうか?(https://www.sjve.org/20605

では、よい週末をお迎えくださいませ。 (ゆ)

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